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モスクワからロシアへ

ルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負ったためにカリター(財布)のあだ名をつけられたイヴァン1世以来、モンゴル支配下で次第に実力をつけたモスクワ大公国は、14世紀後半にはキプチャク・ハン国の王統中断に始る混乱によってますます勢力を強め、ドミトリー公時代の1380年にはクリコヴォの戦いでキプチャク・ハン国西部の実力者ママイを破った。しかし、その直後にはママイを殺害してキプチャク・ハン国の再統合を果たしたトクタミシュの攻撃を受けて服属を余儀なくされるなど、タタールのくびきを脱するには至らなかった。
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14世紀から15世紀のモスクワ大公国は、トヴェーリをはじめとするルーシ内の諸公国や、西で台頭したリトアニア大公国(のちのポーランド・リトアニア)と戦いながらルーシに勢力を拡大していった。一方、キプチャク・ハン国の側では、トクタミシュがティムールに敗れて没落した後は分裂の度を深めていた。ドミトリー大公の曾孫、イヴァン3世はこの力と情勢を背景として、1480年にハンからの独立を宣言し、貢納を停止した。また、北西ルーシの強国ノヴゴロド公国を併合し、ルーシ北部の統一をほとんど成し遂げた。また、イヴァン3世は東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚、モスクワ大公が1453年にオスマン帝国によって滅ぼされた東ローマ皇帝にかわる正教会の保護者としての地位を自認する端緒をつくった。ロシア語で皇帝を意味するツアーリの称号もイヴァン3世のとき初めて使われたといわれる。

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2009年09月23日 00:59に投稿されたエントリーのページです。

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